【輪島大士】
石川県七尾市出身、第54代横綱。
相撲時代は、右手の引きが強いこともあって左の下手投げを得意とし、「黄金の左」と言われ一世を風靡した。
1981年3月場所中に引退し、花籠部屋を継承したが、1985年2月に角界では前代未聞の、年寄名跡「花籠」を借金の担保にしていたことが表面化し、廃業。
大相撲を離れた輪島は1986年に全日本プロレスに入門。
馬場さんとタッグを組んで、アメリカにてデビュー戦を行う。
相撲技の「喉輪」と「かち上げ」を合体させた、必殺技ゴールデン・アームボンバーで快勝したが、プロレスとしての見せ場を作る技術は低く、目の肥えたファンからは厳しい評価を下された。
格闘家としての身体能力は高かったが、相撲時代のクセが抜けずに「倒した相手を寝技に持ち込むことをせずに待ってしまう」という致命的な欠点があった。
しかし、輪島の入団のおかげで全日本プロレス中継がゴールデンタイムに復活し、初回放送で20%を超える視聴率を稼ぐなど、視聴率やチケット販売に貢献した。
同じ角界出身の天龍源一郎と激闘を展開したり、それなりの活躍を見せたが、徐々に精彩を欠くようになり、大相撲時代から仲の良かった石川敬士の退団と同時に1988年12月に引退した。
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