【ジャンボ鶴田】

馬場さんにスカウトされ「プロレスに就職します」という言葉と共に全日本プロレスに入団。
若いころのニックネームは「若大将」。
入団してすぐにドリー・ファンク・ジュニアの道場へ修行に行き、スタン・ハンセンやボブ・バックランドらと共にトレーニングに励む。
1980年代前半は、NWA世界ヘビー級王座に対してあと一歩でタイトルを取り逃がす歯がゆい試合を続けたため「善戦マン」と呼ばれていたが、1983年4月ごろ来日していたルー・テーズか ら必殺技バックドロップを継承。
1983年8月には蔵前国技館において、力道山以来の日本の至宝インターナショナルヘビー級王座をブルーザー・ブロディから奪取。馬場さんから「今日からお前がエースだ」と公式に全日本プロレスの エースを襲名する。
底なしのスタミナ、レスリングセンスで、「実力NO.1」との評価も高い。

1992年にB型肝炎を発症し長期入院を余儀なくされた。復帰後も再発の危険性があるために極端に負担のかかる第一線に立つことはなくなった。
B型肝炎は肝硬変を経て肝臓癌へ転化かつ重篤な状態へ進行し、フィリピン・マニラで治療の甲斐なく5月13日17時(現地時間では16時)息を引き取った。
49歳の若さだった。
昭和プロレス殿堂
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