【天龍源一郎】

1963年12月、大相撲・二所ノ関部屋に入門。
天龍の四股名で1973年1月場所から幕内に16場所在位し西前頭筆頭まで上り詰めるが1976年9月場所、東前頭13枚目で8勝7敗と勝ち越したのを最後に廃業。
同年10月に全日本プロレスに入門した。
しばらくの間「全日本第3の男」と呼ばれていたものの、人気・評価は馬場や鶴田とは比較できないほど低いものだった。
長州力率いるジャパンプロレスの参戦をきっかけに、現在も続く闘争心をむき出しにして戦うスタイルと変貌する。
その頃から急速にファンからも支持を受け、不動の人気を手に入れた。

長州離脱後には全日マットの活性化を目指し阿修羅・原と龍原砲を結成すると、続いて天龍同盟を結成。
REVOLUTIONを旗印とした「地方大会でも決して手を抜かない」をテーマにした闘いは大きな支持を得、鶴田とのシングル対決は全日本プロレスのドル箱カードとなり、長州離脱後に人気が低落した全日本プロレスを盛り立て、激しさや人気の面でも新日本プロレスを凌ぐようになる。
鶴田とのシングルマッチに敗れたのを最期に全日本を離脱しSWSに移籍した。

現在の日本プロレス界において「ミスタープロレス」と呼ばれ、すべてのレスラーから一目置かれる存在である。
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