【ハーリー・レイス】
「美獣」

1968年2月に日本プロレスに参戦するため初来日。
この頃はファンク一家の一員として扱われており、アントニオ猪木がドリー・ファンク・ジュニアに挑戦したNWA世界戦にドリーのセコンドとして顔を出している。
1973年5月、ドリーを破りNWA世界ヘビー級王座を初獲得。同年全日本プロレスに初参戦し、それ以降全日本プロレスの常連レスラーとなり馬場さん、ジャンボ鶴田等と戦いを繰り広げたほか、 アブドーラ・ザ・ブッチャーやミル・マスカラスとも日本でNWA世界戦を戦った。

馬場さんとのタイトル戦の数々は、プロレスのセオリーに則った教科書のような名勝負を残し、マニアックなプロレスファンの語り草となっている。
通算8回に渡って腰に巻いたNWA王座ベルトは通称「レイス・モデル」と呼ばれる。
全日本年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦には4回出場し、中でも1984年にはニック・ボックウィンクルとの夢のコンビを実現させている。
昭和プロレス殿堂
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