【大仁田厚】

馬場さんに憧れ、全日本プロレスに弟子入り。
当時ライバル団体の新日本プロレスで爆発的人気のあったタイガーマスクに対抗し、ジュニア戦線のチャンピオンとして活躍。
1984年、ヘクター・ゲレロとの試合終了後、リングを降りる際にトップロープを飛び越えたが着地時に足を滑らせ、全体重がかかった状態で膝を床に打ち付け、左膝蓋骨粉砕骨折のため引退。

馬場さんは付き人の大仁田を可愛がり、養子にしようと本気で考えていたという。
馬場さんの付き人時代、馬場の試合用パンツを忘れてきて、外人レスラーのパンツを黙って借りてきて、試合後に発覚し、馬場さんに怒られ「馬場チョップ」を食らったが、次に馬場さんの衣服を忘れた時に土下座して謝ったら黙って許してもらえたので、大仁田はこのことから馬場さんに大切なことを教わったと回顧している。

1988年、FMW設立。
1990年汐留で行われたノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで一気にブレイク。
この試合は東京スポーツ主催のプロレス大賞年間最高試合賞を受賞する。
その後も川崎球場や西宮球場などの大会場で大掛かりなデスマッチを開催し続け、「涙のカリスマ」の異名を取った。

2001年7月の第19回参議院議員通常選挙に自民党より出馬し当選。
昭和プロレス殿堂
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