【アントニオ猪木】
「燃える闘魂」

1960年4月11日、ブラジルへ立ち寄った力道山によりその才能を見出されスカウトされ、そのまま日本へ帰国し日本プロレスに入団。
同年9月30日、東京の台東体育館にて大木金太郎とデビュー戦を行った。デビューは馬場さんと同日である。
新日本プロレス設立後、「プロレスこそ全ての格闘技の頂点である」というストロングスタイルを標榜。
最強の証明のため、“熊殺し”の空手家ウイリー・ウイリアムスとの対戦など、異種格闘技路線への挑戦を続け後年の総合格闘技の礎を築いた。
中でもプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメッド・アリとの一戦は世界各国に中継され話題を呼んだ。

馬場さんは、新日本プロレスを旗揚げしてからの猪木の挑発には「何度もはらわたが煮えくり返る思いがした」と自伝に書いているが、猪木には基本的に「同じ釜の飯を食った男」という気持ちがあり、憎しみの感情は無かったようである。猪木も同様で、表向きの発言と実際に馬場に会う時の態度は全くと言っていい程違っていたと、元週刊プロレス編集長ターザン山本も証言している。

馬場さんに対する猪木の言動の裏には、やんちゃな弟が性格が正反対の偉大な兄貴に対するジェラシーのような感覚が少なからずあったようであるが、世間で言われているように二人の仲はそれほど悪くはなかったのではないか?

ジャイアント馬場とアントニオ猪木。両者とも、偉大なプロレスラーであることは間違いない。
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