【スタン・ハンセン】
「不沈艦」

1981年、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦に突如ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカー組のセコンドとして全日マットに再登場した。
当時全日本と新日本は有名選手の引き抜き合戦の最中にあり、ハンセンの参戦は最大の事件として記憶されており、試合中に場外でテリー・ファンクへウエスタン・ラリアットを食らわせKOさせたこ とで会場は騒然となり、試合後もファンクスに対し暴行を加え続けたためジャンボ鶴田、馬場さんが駆け付けた。
この時馬場さんが放ったチョップでハンセンが流血し、通常よりも数倍速く威力があり、「馬場さんがキレた数少ない場面」として知られている。

正式移籍後は馬場さん(1982年2月4日の初の直接対決はプロレス大賞年間最高試合賞を受賞)やジャンボ鶴田、天龍源一郎との数々の名勝負を残す。
また、ブルーザー・ブロディと組んだ超獣コンビは圧倒的な強さを誇り、日本マットでピンフォール負けしたことは一度もなかった。
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