【ドリー・ファンク・ジュニア】
「テキサスブロンコ」
1969年2月11日、フロリダ州タンバにおいてジン・キニスキーを破り、NWA世界ヘビー級王座を獲得し、1973年5月24日、ミズーリ州カンサスシティでハーリー・レイスに敗れるまで4年3ヶ月にわたる長期政権を築いた。
以来、アメリカを代表するレスラーとなり、実力世界一と謳われた時期もある。
後に全日本プロレスの常連となると、準日本側のような扱いになり、主にアブドーラ・ザ・ブッチャー、ホースト・ホフマン、ビル・ロビンソン、ブルーザー・ブロディといった外国人レスラーと名勝負を残している。
また、1977年には世界オープンタッグ選手権に弟テリーと組んで優勝、1979年・1982年の世界最強タッグ決定リーグ戦でも優勝、1981年にはインターナショナル・ヘビー級王者にも輝いている。
80年代以降力が衰えてからも全日本プロレスへの来日は90年代半ばまで続き、その間1983年・1985年の最強タッグには馬場さんとコンビを組んで出場した。
また選手としてだけでなく、全日本プロレスへの外国人レスラーのブッキングを行ったり、また指導者として多くの後進を育成したことでも知られる。
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