【ザ・デストロイヤー】
「白覆面の魔王」

その後1963年に初来日して力道山と対戦、足4の字固めをめぐる壮絶な攻防は全国に一大センセーションを巻き起こした。
力道山の死後も、馬場さんを新たなライバルとして日本プロレス、全日本プロレスの人気外国人レスラーの地位を確保するようになる。
初対戦の頃は馬場さんを血だるまにしてKOした大ヒールのデストロイヤーであったが、1972年に来日の際、「馬場に負けたら助っ人として日本に残る」と宣言、敗れたデストロイヤーはその後 6年余りの間全日側として参戦し、その間ブッチャー、ミル・マスカラスなどと名勝負を残した。
その間、馬場さんの食客のような存在だった。
日本ではベビーフェイスとして活躍したが、アメリカではもっぱらヒール役に徹していた。
1968年には黒覆面の「ドクターX」を名乗りバーン・ガニアを倒しAWA世界チャンピオンとなった。

またそのユニークなキャラクターから、日本テレビ系で放送されたバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル」にレギュラー出演し、コメディアンとしてのセンスを見せ、リング外でも人気を博した。
昭和プロレス殿堂
記事&画像満載!

プロレス☆ジャイアント馬場☆トップ