【ブルーノ・サンマルチノ】
「人間発電所」

馬場さんとは、レスラーのキャリアは1年しか違わなく、若手時代からの友人であり出世を誓い合った最大のライバルの一人であった。
実際に、時期は違えど両者ともに出世し世界王座奪取を成し遂げて、お互いに世界王者の立場で対戦したことが何度かある。
しかし、互いにベルトをかけて戦ったのは、1975年5月のPWFとWWWFのダブルタイトル戦のみであり、それ以外はお互いに自分の所属する団体のタイトルに挑戦していた。
馬場さんが全日本プロレスを旗揚げするときに、真っ先に相談に行ったのはどの地区のプロモーターでもなく、サンマルチノであった。
馬場さんと親友であったサンマルチノは、WWWFが1974年に新日本プロレスと提携した際も、馬場さんとの友情関係を理由に新日本への参戦を拒否し、全日本プロレスに出場しつづけた。

サンマルチノは馬場さんの「引退試合」の際に「馬場、君に挨拶するために来た。君は体だけじゃなく、心もジャイアントだったね。君は全ての人に愛され、大切にされたすばらしい人物だった。今日この場にいられることをうれしく思うよ」とスピーチした。
昭和プロレス殿堂
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